大会長挨拶
学会って必要なんでしょうか? 診断ガイドラインを決めるとか、政府に圧力をかけるとか、既得権益を守るとか、そういうことと無縁の基礎科学系の学会の存在意義って何でしょうか? 学会の大会(学術集会)に参加すれば、分野の最新情報を得ることができる? 今やネットで簡単に論文が読めるし、最近はプレプリントサーバーへの投稿も増えてきて未審査の段階で情報が得られます。いやいや、自分の成果をプレゼンしたり、ディスカッションしたりすることが大事? それも学術変革やCRESTやさきがけなどの班会議、あるいはテーマを絞った各種研究会・シンポジウム・セミナーのほうが密にできます。
こう考えると、なんだか学会って要らないような気もします。少なくとも幾つも要らなくて大きい学会ひとつだけで十分かも知れない。ところが、私はもう40年以上に亘って弱小の日本細胞生物学会の会員で大会にもほぼ全て参加しています。自分にとってはそれが当たり前で理由など考えたことはありませんでしたが、学会の存在意義を考えるようになってなぜだろうと自問してみました。
それで浮かんできた言葉が、「安心」でした。研究は基本的に孤独なものです。星の見えない闇夜を進む昔の帆船のように。特にすぐに役に立つことのない基礎研究は、自分がやっていることはこれでいいのかと悩むこともあります。そういう悩みがなくても、学問の潮流の中での位置づけや方向性などで不安になることもあります。
そういうとき、所属学会に行けば、大丈夫大丈夫と安心することができます。あるいは、方向を修正することができます。母港、おらが村、ふるさと、ホームグラウンド、喩えは何でも良いのですが、そういうものがあるのは悪くありません。根無し草として流されているのではないと確認するための、自分のルーツ、根っこ、アンカーとしての学会。大会は、出身部族の年に一度のお祭り、かな。我々なら細胞生物学トライブ。
こういう安心は数年単位で終了する班会議や、テーマが絞られすぎた研究会などでは得られません。それから「楽しい」ということも大事です。そこに行けば、昔から顔なじみの研究者や、さらには昔の自分を見るような活き活きした若い新顔たちと楽しい議論ができると言うこと。
安心できて楽しい、が第一義だとすると、重要なファクターは人の距離感です。日本細胞生物学会の規模はそういう意味で絶妙です。少なすぎず、多すぎず。巨大学会にはない、fanがあります。学会長も務めたので、会員数が多い方が経営面では楽なのは重々承知していますが、本音としては、今くらいで、その代わり将来に亘ってずっと続いて欲しいと思っています。
安心とか楽しいとか全然ロジカルじゃない、とあなたは思うかも知れません。でも研究も結局人間の営みです。そういう情緒的なことも結構大事だと、半世紀近く細胞生物学研究に携わってきてつくづく思うのです。
ニュートンの有名な言葉に「If I have seen further, it is by standing on the shoulders of
giants.」があります。元々は他の哲学者が言ったようですが、科学は先人の成果の積み重ねによって構築されており、その上に乗ることで我々はより遠くまで見ることができる、といった趣旨のようです。
長年細胞生物学会に参加しているとそのことを実感します。ひとりひとりの研究成果は小さなものであっても、時間をかけて大勢がそれをひとつひとつ積むことで巨人の背が伸びていきます。それは研究者にとって大いなる愉楽です。
さあ、細胞生物学会大会に参加し、あなたはひとりでは無いことを感じて下さい。
今回は、ポスターセッションを毎日設定し、ポスター会場で活発な議論をして貰おうと思っています。これまで学会を担ってきた世代と、これから担う世代が、年齢や身分と関係なく忌憚の無い科学の対話をする場になればと願っています。
またプレナリーレクチャーには、エンドサイトーシス経路/オートファジーのHarald
Stenmark博士(オスロ大学)、睡眠メカニズムの柳沢正史博士(筑波大学)、small
RNAの塩見美喜子博士(東京大学)をお招きします。トップサイエンスに、大いに刺激を受けてください。
シンポジウムも沢山の興味深い提案を頂き、様々な分野を網羅したエキサイティングな17テーマが出揃いました。楽しみにして下さい。
それでは、奈良の地でお待ちしています。会場の奈良県コンベンションセンターは新しくてきれいです。学会大会は楽しまなくてはいけませんから、会期の前後には是非豊かな奈良の自然や歴史も堪能して下さい。
第75回日本細胞生物学会大会会長
吉森 保